Ghost Apple 16

「ここはどこだ。」
「ほ、け、ん、し、つ。」
 焦点の合わない視界のままに疑問を口にしてみれば、一文字一文字を大切そうに発された言葉が耳をついた。「は、」と間抜けな声を上げて体を起こしてみれば。
「体も重たいんだろうし、目が覚めたならそのまま寝ていなさいよ。」
 一体何やってんだか、という言葉と共につかれたため息は特に欲しくもない呆れの感情を超特急でこちらにぶつけてくれる。既視感のある展開の先にあったのは保健室の主であるおばちゃん先生の顔だった。申し訳なく思いつつ「すいません。」と一言つければ「はいはい」と言って頭をぽりぽりかいた。場所がこの場でなければただの気さくなオバサンである。
「あなた最近まともにご飯食べてるの?日暮くんの話じゃどうにも昼ご飯は抜いてるみたいだけど。17歳なんだからとかじゃなくてね、栄養失調起こしてるわよ?」
「え?」
「顔も青白いし、今でもどこかフラフラしてるでしょ。素人でもわかるくらい良くない状況だし。」
 言われて初めて気づく。倒れるようにぶつ切りになった記憶のように、神社から帰った後の記憶はどこか抜け落ちた感覚がある。それから、学校での『日常』も。何の違和感もなく日常に混ざっていたが、そういえば、最後に食事らしい食事にありつけたのは数日前だ。理由もなしに倒れることはないだろうし、日暮に押されただけで倒れるだなんて相当弱っていることになっただろう。何故気づかなかったのか。そのままの事実を言えば、先生は困ったように笑った。先ほどの女子生徒とは大きく違う笑い方に、困ったような笑いにも種類があるんだなとぼんやり思う。
「最近はぼやっとしてることが多かったって担任の先生は言ってらしたけど、そのせいね。倒れても仕方がないというか、ここまで放って置かれていた事実にビックリよ。」
 遠まわしに孤立していると言いたいのだろうか。純粋な保険医の言葉を捻くれたように捉えたがる自分の頭を抱えつつ、今ここに座るベッドについて考えた。教室で倒れたときは日暮が連れてきてくれたと言ったが、今度は誰が運んでくれたのだろうか。あの女子生徒が運んでくれたとは到底思えない。
「あの、俺って誰に連れてこられたんすか。」
「えー?」
「校舎裏で倒れてたんですよね?」
 どこかふわふわする頭を無理矢理確立させながら、目の前にいる先生へと質問を投げてみる。お礼を言いたいのもあるし、聞いておくのは道理だろう。
「松浜さんは覚えてる?」
「まつはま?」
 質問は質問で返されて、覚えの無い名前を出される。さん、をつけているということは女子だろうか。しかし女子と言われてもクラスの人間の名前も覚えていない自分のこと、どれだけ記憶の中を探しても首を傾げるばかりなのは明確だった。
「覚えてない?」
「誰ですか。」
「え、そこから?」
 次は先生のほうが首を傾げる番。どうにも噛みあわない会話は日暮のことを思い出す。何でこうも俺に優しくないんだ、とどこかへ向けた怒りを上手く隠しつつ「知りません」と答えれば、困った笑いを純粋に困った顔に変えてきた。
「校舎裏で倒れたって駆け込んできてくれたのよ。その後男の先生引っ張ってあなた背負わせました。」
「………そっすか。」
「高身長も考え物よね、細いからまだよかったけどそれでも相応の体重はあるわけだし、背負った先生ずっとひいひい言ってたわよ。」
 なんだか興味のない話を始められて、疲れた今ではまともな受け答えもできないだろうと意識を逸らす。もしかして松浜と言うのはあの女子生徒のことだろうか。名札は確認していない。また会えれば礼を言っておこう。
「それで。」
 そんな考えを両断するように、ぱん、と手を合わせてから先生がこちらに顔を寄せてくる。
「やっぱり病院には行ったほうがいいけれど。」
「いやです。」
「と、言うと思ったわ。だから今日はもう帰りなさい。帰ってきちんと食べてきちんと休むこと。親御さんに連絡するから来てもらって、」
「一人で大丈夫です。」
「そんな無理が通りますか。」
「一人暮らしだし。」
「あ、そうだっけ? だったら車出すから。」
「大丈夫ですって。」
 遠いわけじゃないし一人で帰れます、ダメって言うなら脱走します。そんな無理通せるほど大人は使い勝手良いわけじゃないのよ。そんな押し問答が同じように、しかし言葉を変えつつ繰り返され、数分経ってから京太郎が折れることはないと感じたのか先生側が折れて帰宅許可を得ることが出来た。頑固というか、面倒くさい自分の性格に万々歳というやつだ。
「途中まで付き添っても…」
「一人で考え事がしたいんですよ。」
 それでもやはり不満そうに一言入れる先生をバッサリ断り、まとめてくれていた荷物を引っつかんで、逃げるように保健室を出て行こう…と、するが。
「聞きたいことがあるんですけど、いいですか。」
 その前に一つ、ここに住む人に聞かなければならないことがある。
「え、何かしら?」
 全く予想していなかった、と顔にありありと出した後、先ほどのようなどこにでもいるようなおばちゃんを思わせる顔を返してくる。いい人なんだな。
「神社、あるじゃないですか。表が草ぼうぼうの。」
「え、神社?」
 望まない答えが来ませんように。心の中だけで願ったことは絶対にその先生に伝わることはない。不思議そうな顔をした先生は、京太郎にとって"もっとも望まない答え"をなんでもない顔で提示してくれた。










「あそこは15年程無人のままだけど?」



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