Ghost Apple 10

 一人というのはとにかく寂しい。視界に誰もいない、本当に"一人"の帰り道をたっぷり味わいながら、前へ前へと足を進めて行く。体を揺らすたびに聞こえるりんりんという微かな鈴の音は、ポケットから鳴る赤の根付。再確認するまでもないその事実にはた、と思い、右手で携帯電話を取り出してみる。勿論、目的は携帯電話につけられた青の根付。取り出す動作を少し乱暴にしてみても、ぶらさがり揺れる根付は鳴らない。歩きながら大きく揺らしてみても、やはり鈴は沈黙を保ったままだった。
 確か、中でさび付いたとか、なんとか言っていたか。つまりは元々鳴るものだったということだ。改めてそれを考えると、どこか寂しい何かがこみ上げてくる。わざわざ出すほどでもないし、それを発せられる相手なんてこの道に存在しないのだから、無表情のまま揺れる根付を睨むだけにしておくが。そんな京太郎のくだらない考えを包む無表情を見る人間は、やはり一人としていない。田舎の人通りの少ない道とはかくも恐ろしいもので、今ここで誰かに殺されたとしても、誰もその殺した人間を突き止めることは困難になるだろう。田舎道を歩く人間は、必ず考えたことがあるはずだ。17歳にもなればくだらないと投げ捨てられる考えは、一人の時間を潰すにも価しない代物だろう。帰って早く飯でも食うかとカバンをかけなおし、足を急かすスイッチとでも言うように携帯電話をポケットへと捻じ込もうとした。
 が、しかし。
「うわわっ!!」
 薄暗くなってきた道の中、携帯電話が右手から滑り落ち硬い音を立てて地面とぶつかった。焦りゆえの声も、やはり聞いてくれる人間なんてものはいない。いてくれなくてよかったが。
「っくしょ…」
 誰に対するでもない悪態をつきながら、京太郎は自身の携帯電話を急いで広い、電源をつけてみる。電気機器の進化が当たり前のように行われていく昨今、落ちたくらいで異常をきたすような物品は世間に流れたりしないだろう。そんなことは分かっているのだが、薄暗い中携帯電話の光によって浮かび上がるカバーに刻み込まれた傷は、京太郎を落胆させるのに事足りるものであった。
「あーあ………。」
 買い換えて日が浅いってのに。ため息に乗せた感情は音になることはなく、日暮の中で消化されていく。発散したくてもできないやるせなさは、もう少し使い込んだ後で味わいたかった。心の底からそう思いながら、今度こそポケットへと携帯電話を捻じ込み、自宅へと足を向けた。








「日暮、」
 切り出し方はワンパターン。日付の変わった学校にて、昨日と同じように京太郎を無視し続ける日暮に懲りないように声をかける。感情の抜け落ちた瞳に、何を切っ掛けにしてか周りともあまり積極的に話さなくなった日暮を呼び止めようとしてみるが、やはり日暮はそんな京太郎には背を向けてどこかへ行こうとした。フランクな男子生徒の「懲りないなあ」という呆れたような声も聞こえるが、そんなことを気にしている場合ではない。教室から出るのなら好都合、昼休みの終了までまだまだあると確認して、ぶっきらぼうに扉を開いた日暮の後へとついていくように教室を出る。後ろから聞こえる男子生徒の乾いた笑いは、やはり先ほどと同じ呆れが含まれているのだろうか。
 軽く走り出した日暮を追いかけるように、リーチでは少しの余裕がある京太郎は同じように軽く足を速める。段々と人の少なくなる道を行けば、息を切らした日暮は昨日と同じ昇降口の傍にある水飲み場で立ち止まる。同じように歩みを緩め日暮に近づいてみれば、落ち着かせた足音を忌むような目を京太郎へと向けた。歴とした憎悪の視線は、数日前のオーバーリアクション気味な彼の表情を忘れさせる。
 話したくないという思いを隠そうともしないその目には気まずそうな顔しか返せない。兄弟間に何があったのか、それがわからないことにただの他人である京太郎が何かを言えることはできないのだ。
 それでも、自分でやらなきゃいけないことくらいは、わかっているつもりであった。
「………何。」
 左ポケットから取り出した赤の根付を、日暮の前で揺らす。上品な鈴の音が京太郎と日暮の間にある空間を揺らせば、それを耳に捕らえたらしい日暮の顔つきがこわばった。
「"わかった"、っつってた。わかったからもう返していいって。」
「何の話。」
「お前の弟の話だよ。」
 京太郎を睨む日暮の瞳が、更にキツくなる。受け取れ、と言外につめた意味が汲み取れないほど日暮もバカなわけではないのはいつもの会話で分かっていた。それでも、日暮は動こうとしない。
「俺が持ってる意味はもうない。」
「バカにしてるの?」
 いまいちわけのわからない日暮の返しに怪訝な顔をするが、日暮弟のように優しく意味を教えてくれることはない。それでも、意味も分からず渡されたものを持ち続けているのはよくない、と自分で考えていた。京太郎は、日暮に一歩近づく。
「ねえ、もう一度聞くけど。」そんな京太郎に、今度は後ずさりはせず。「バカにしてるの?」
「してねぇよ。受け取れ。」
 京太郎の言葉に反応した音は、日暮の喉ではなく足元から聞こえた音だった。一歩踏み出した日暮が構えた右腕を確認すれば、自然と京太郎も足が動く。―――その拳を避けるために。
「君も避けられるんだ。」
「手出すの好きだな、お前。」
 各々出す言葉は双方に呆れの言葉。何故殴らせてくれない。そんな呆れと、昨日と同じ行動をするなんて。という呆れ。日暮も京太郎も表面的な表情は普通なのだが、その格好はどう見ても喧嘩が始まるようなところだ。
「…君は、自分が何をしているか分かって言ってるの。」
「どういう意味だよ。」
 いまいち噛みあわない会話に眉を顰める。そんな顔に何を思ったのか、いくらか低い場所にある日暮の頭が怒りを表すように揺れた。こんなときに来る小さな偏頭痛に気をとられていれば、見上げてきた日暮に胸倉を掴まれる。シャツを千切らんばかりに力を入れられる日暮の手は、隠そうともしていない怒りをわざわざ表してくれた。今度は、日暮が眉を顰める番。
「何をしているか、」
 先ほどと同じように、しかし今度は左腕を。

「わかってるのかって言ってるんだ!!!!!!」

 日暮の叫びか、それとも京太郎の頬と日暮の拳がぶつかった音か。何に対してかはわからないが、それは恐怖。傍から聞こえてきたのは、顔も知らない女子生徒の悲鳴だった。たまたまそこを通れば、喧嘩中の二人が暴力行為に及んだ。そんなたまたまにそこまで叫ぶか、とどこか遠くにある考えでその女子生徒を見てみる。
 血の滲む頬を貼り付けた顔で睨まれれば、その女子生徒は固まってしまう。しかし、そんな煩わしい声を発した女子生徒なんか京太郎には興味はない。すぐにその視線を日暮へと戻し、何だか動かす気にもなれなかった表情筋をそのままに胸倉を掴む日暮の手首に自身の手を添えた。
「俺結構動くほうだし、喧嘩すりゃお前が負けると思うんだけど。」
「喧嘩なんてするつもりはないけど?」
「そんな顔で言われても信憑性なんてねーよバカ。」
 眉間に深く刻まれたシワを見せながら胸倉を掴まれてしまえば何をされるか、そして自分が何をすべきかくらい自然と受け取れてしまう。一発殴られた後ではあるのだが。
「喧嘩なんて望まないからね、僕は。」
「じゃあ誰が望む。」
「君なんじゃないの?」
「俺は望まない。むしろお前だろう。そんな顔で人の胸倉掴み上げて、こっから喧嘩以外の何始めようってんだ。」
 徐々に力の入れられる胸倉を掴む日暮の右腕に、京太郎も力を込めていく。京太郎から無理矢理引き離すようなことはせず、「離せ」と伝えているのだ。言葉は、なしに。
「ねぇ、答えてくれるかな、京太郎くん。」
「何に。」
「これから聞くこと。」
「親の事は言えねーぞ。」
「京太郎くんの親なんて僕にはどうでもいい。」
 突き放すような物言いに、日暮の"僕"という一人称だけが変に浮いていた気がした。またも振り投げられた左腕を、掴まれた胸倉はそのままに避ける。ぶちぶちと嫌な音をするシャツはまだ着れる代物か、それとももう捨てなければならない代物か。確認する前に、日暮の言葉が京太郎の意識を鷲掴みにした。
「根付、どこで手に入れたの。」
 心底こちらを憎むような目は、理由のわからない怒りは。
「弟にもらった。」
 それに返す言葉は、そのときの京太郎の表情は。
「もらったって言ったよね。」
「もらった。」
「ふざけてるの?」
 意味のわからない会話の展開に、京太郎は呆れたように眉を寄せたまま目を瞑る。会話をする気があるのか、ないのか。何を思ってそこまで怒るのか。京太郎にまるで理解できないことで、こうもこじられてしまえば出来ることも出来ないこともわからなくなっていく。
「悪いけど、俺のわかるように話してくんね? お前が何を言いたくて、何を話したいのか、わかんねえよ。」
「根付が証拠でしょ。」
「だから、」
 言い募ろうとする俺の頬へ、またも握りこぶしが叩き込まれる。がつん、という頭に響く音は、脳がねじれるような感覚に陥る強さで。偏頭痛も吹き飛んでしまうような更なる痛みは、日暮の怒りの度が知れていくような気がした。
 言葉が喉のすぐそこまで詰まるような日暮の表情を、どこか遠い目で見つめて。

「………この人殺し!!!!!」

 投げ捨てられた俺にそう叫びながら。更に右腕でを入れようとした日暮を止めたのは、先生の声だった。



←前 次→

戻る
inserted by FC2 system