Ghost Apple 9

 足元から鳴る、こつ、という寂しげな音に反応するように視線を下へと降ろしてみる。石段の上に置かれた学校指定のローファーの傍には、名前も知らない虫が必死にどこかへ行こうと石段を這っていた。
 あれから何度か日暮に声をかけてみるものの、完全に無視。何をしてしまったのか検討もつかない中、人に言いふらすのも、適当なことを言うのも、火に油を注ぐ形であると判断しその日の学校を終わらせ、またも同じコンビニへと向かい、神社へと出向いた。体を揺らす度に微かに聞こえる鈴の音は、日暮に投げ渡された赤い根付の音。何を思って自分にこの根付を渡したのか、その意味を考えるにも、日暮の元へと行きたかった。 
 緑のアーチを抜け、寂れた中でも神聖さを思わせる神社の敷地に足を踏み入れる。木々がざわめく音、虫の泣き声、風により舞い散る落ち葉。紅葉まであと少しらしい遠くの山は、まだ緑色をしている。
「…今日はいないのか。」
 日暮れの姿は、無い。人一人が欠けただけでこんなにも寂しい景色になるのかと一息ついて、手に提げたビニール袋を見つめた。中から覗く結露が見える透明のカップに残念な気持ちになりながら振り返り、階段のほうへ向かおうとする。
 が、顔を上げると待っていたのは、寂しげな緑のアーチではなく、少しびっくりしたような日暮の顔だった。
「…!」
「こんにちわ。」
 いつのまに、と言いたくなるような登場に顔をこわばらせるが、目の前の日暮は少しビックリしたような顔はすぐに消し去り、笑顔で挨拶をしてくる。抱えた箒の揺らぎなさに負けじと「おう、」と小さな返事を寄越すが、それ以上の言葉は出てこなかった。
「お前、いつからいた?」
「ついさっきですよ。」
「…全然気づかなかった。」
「兄弟揃って存在感薄いもんですから。それにしても、今日は少し早くないですか。」
「今日は、って程会ってはいねぇと思うんだけど。時間なんか気にしてんの?」
「暇なので。時間と境内の汚れくらいしか気にすることがないんですよ。」
「………そうか。」
「それに、来ないかもしれないな、って考えたんですけど。」
「暇だったからな。」
 京太郎の答えに薄っぺらな微笑みを寄越して、「座って待っていてください」といつもの賽銭箱の向こうにある階段に促される。毎度思うが、ここは座っても大丈夫な場所なのか。そんな京太郎の疑問を現在ぶつけられる人間は、裏手にある倉庫へと箒をしまいに向かった。またも渋いお茶でも出してくれるのだろうかと少しの期待を募らせて、学校指定のカバンを足元へと置く。その際聞こえた、ポケットからの鈴の音は、神聖で現実から遠くなるような神社の中、何だか現実に引き戻してくれるアイテムのように思えた。取り出して揺らしてみれば、りんりんと鳴る。京太郎の携帯電話につけてある根付と色以外は全く同じのはずなのに、音の有り無しだけで騒がしさが一気に変わる。携帯電話を取り出して、二つの根付を並べてみれば、何も音はしないはずなのに、赤い根付のほうがどこか騒がしいような気がした。不思議だ。
 わらじの足音が遠くから聞こえて、急いで赤の根付と携帯電話をポケットへと捻じ込む。音のほうへと顔を向けてみれば、手ぶらの日暮が眉を下げながら歩いて来ていた。
「すみません、茶葉切らしていました。」
 京太郎の隣に立つが、座ろうとはしない。そんな日暮にため息をつく。
「そんな寂しそうな顔しなくても。」
「だって…」
 言い募ろうとする日暮の視線は、日暮と京太郎の間に向かう。そこにあるのは、ビニール袋。京太郎がコンビニで買って来たものだ。
「ん、今日はプリン。」
「今日は、って。すみません、何も出せなくて。」
「別にいいよ。出してもらうために来てるわけじゃねーしさ。」
 座れと言う意思を込めてビニール袋からプリンを一つ取り出し、座り込んだ階段の上へと置いた。プラスチックの小さなスプーンも一緒に置くと、日暮は何かまだ不満が残るような表情で先日と同じ場所へと座り込んだ。
「甘いもの嫌いか?無理してんなら俺がどっちも食うけど。」
「いえ、好きですよ。」
「たかが120円程度だし、んな顔しなくても悪かねーよ。」
「………はい。」
 やはりまだ不満そうな顔で、それでも一応納得はしたのか、ぺり、と小さな音をたててプリンの封を開いた。そんな顔じゃ美味しいものも体に毒になってしまうだろうと思うが、そんな歳より臭いことは心の中に留めておく。その甘いお菓子を一口口に入れた日暮に微かな笑みを送りながら、自分の分のプリンをビニール袋から取り出そうとした。

 しかし、ちりん、という音に手を止める。
「あ、」

 急いでいたせいで、きちんとポケットに入っていなかったのか。体を動かした際に、ポケットから赤の根付が零れ落ちてしまった。下に目をやると、根付に少し砂が張り付いて転がっている。慌てて拾い上げると、日暮がびっくりしたようにこちらを見た。最初は表情という概念が抜け落ちたような感覚に陥る表情筋を見せてくれたのに、少し話せばそんな考えは頭から飛んでいっている。不思議なものだ。それでもやはり、その動きは落ち着いていると言う他ないが。
「それ、」
 京太郎の指で揺れる、赤い根付を凝視する。青い根付と違って、鈴の音が空間を揺らした。
「…日暮、あ、兄ちゃんのほうな、に渡された。いや、渡されたっていうか、投げつけられたようなもんだけどさ。」
「………そうですか。」
 心ここにあらず、という言葉がぴったりの日暮の様子に首を傾げるが、日暮にはそんな京太郎など眼中に無い。京太郎の手の中にある揺れる根付をひとしきり見つめ、プリンのカップから流れた結露の一滴が袴に落ちる頃、ようやくはっとして意識をこちらに戻した。
 言葉を選ぶのに戸惑うように視線を彷徨わせた後、日暮は京太郎を見据える。何を言うか皆目見当もつかない日暮に対して、京太郎はどう対処すればいいか少しの不安を募らせた。対処と言ったところで、日暮が何かを言わねば京太郎にはどうしようもないのだが。そんな不安が見て取れたのかどうか京太郎にはわからないのだが、日暮は口元に薄い笑みを浮かべて手に持ったプリンをまた一口、口へと運んだ。
「わかりましたから、返してもらって大丈夫ですよ。」
「は?」
 意味を汲み取りづらい日暮の言葉に、つい間抜けた声を上げてしまう。
「きっと兄は、僕に何か伝えたいことがあって、京太郎くんに根付を渡したんでしょう。僕にはそれが伝わりました。ですから、京太郎くんが持っている意味はもうないです。」
「………そうか。」
 解説ありがとう。どこかぎこちない言葉で、幸せそうな面持ちのままプリンを食べていく日暮に了承の言葉を渡し、ポケットへと赤の根付をしまう。先ほどみたいに落ちないように、しっかりと。
 空になったカップが階段に置かれる音に日暮のほうへと向いてみれば、覗き見た顔は、友人に送るような笑顔を貼り付けた、それでもやはり感情の抜け落ちたようなどろっとした瞳。日暮が気まずそうにしているのを隠そうとしているのは、見て取れた。
「すみません、僕、これから用事があるんです。」
 申し訳無さそうに小さく首を下げながら寄越してきた言葉は、お開きを申し出るもの。日暮がそう言えば、京太郎がここにいられる理由はない。
「…そうか。じゃあ帰るな、俺。」
「また来てください。待ってますから。」
 やはり笑顔にしては抑え目な口角の上げ方と同じタイミングで発せられる言葉が社交辞令でないことを願いつつ、その場から立つ。先ほどまで見せなかった急いだそぶりに若干の悲しさを表情に出さないようにしつつ、出入り口があるらしい裏手のほうへと消える日暮へ手を振った。
 途端、世界から色が抜けたよう錯覚を覚える。来たとき感じた、人一人が抜けただけで心に刺さる寂しさから目を背けるように、入り口である石段へと向かった。

 何故かって、ここにいる意味はないから。


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