Ghost Apple 13

「ここはどこだ。」
「保健室だよ。」
 焦点の合わない視界のままに疑問を口にしてみれば、透き通るような、それでも男だとわかる声が耳をついた。「は、」と間抜けな声を上げて体を起こしてみれば。
「授業も上の空で考え事してて、わざわざ当ててやったら充電切れたみたいにバターン。先生ビビってたよ。」
「俺倒れたのか。」
「それはもう綺麗に。体格も考えて欲しいよね、何で僕が君を担いでここまで来なきゃいけなくなるんだっていう話。何回倒れそうになったことか。それでもって保健の先生いないし。」
 やっとこさクリアになった視界の中、日暮の後姿が見えた。周りを見渡せば、言った通りに保健室。靴を脱がされベッドに置かれた体は、どうにも上から押さえつけられるような重さを感じて、もう一度ぼふりとベッドに埋まった。
 どうやらここまで連れてきてくれたらしい日暮は、ベッドの傍に立っていてくれているというのにこちらを向かない。先日までの険悪な雰囲気など忘れさせるように軽快な声で淡々と状況を伝えてくれたが、見えない表情はもしかして弟みたいに無表情だったりするのだろうか。うかがい知れない限りどうすることもできないのだが。
「先生呼んだらちょっと今出てるらしくてさ。あと10分くらいで来るみたいだから顔色大丈夫そうならそのまま休ませとけって。大人ってしっかりしてるわけでもないんだねぇ、倒れてて顔色がどうとかないと思うんだけど。」
 声だけはやはり軽快なまま。転校初日のような雰囲気に懐かしい気分になりながら、それでも昨日までの態度と見えない表情のおかげでどこか恐怖のようなものを感じながら、一先ずここまでつれてきてくれた礼を口にした。それに対しても、やはり軽快な「別にいいよ。」という言葉が返される。それでもこちらは向いてはくれない。
 そこから、二人の間に沈黙が落とされてしまった。
 京太郎はそこまで話すほうでもないし、日暮もクラス内では孤立まではいかないもののやはり浮いている人間。始まり方が少し変則的だったためにどこか近しい距離になっていたが、お互いに自分から話すことはあまり多くはない人間だった。だからこそ、沈黙は気まずくもあり、その上で、納得してしまうものだった。お互いに、口を開こうとはしない。
 そこで、はた、と思い至ることが一つ。
(…根付どうなったんだろ。)
 青の根付は現在進行形で自分のポケットに携帯電話と一緒に収まっているが、日暮に投げて寄越された赤の根付は。京太郎の頭によぎった考えは、一応自分で"聞かなければならないこと"だった。確かに自分は持っていないし、あれからどうなったかは知るところではないのだから、日暮が持って行ったと考えるのが妥当な気もする。しかしもし誰かが持ち去っていたとすれば、それを日暮が知らなかったとすれば。探してもとの持ち主である日暮に返す必要があるだろう。
 しかしここでその話題に直球で触れるのにもはばかれるものがある。この日暮は弟のこととなるとどこか京太郎と噛みあわない会話を展開させていくのだ。思い出すのは、説明する気など毛頭ない、しかし理解しろと直接的な言葉をそのまま出してくる、日暮の顔。憎悪や怒りもプラスされて、更に京太郎には理解できない言葉の連なりになっていく。それに加えて手が飛んでくる確率も増えていくのだから、せめてすぐに教師がやってくると言われたこの場所でそのことに触れるのはあまりよくないだろう。
 ―――だったら、やることは一つ。
「日暮、ちょっと来い。」
「え?」
 ふらつく体を無理に起こして、放られていた靴に適当に足を突っ込み、未だにこちらを向かない日暮の腕を引っ張る。ぐい、と力強く引き寄せた日暮は全く予想していなかったのか、先ほどの京太郎のように少しふらついて、それからそのまま引っ張られるように京太郎の後に続くこととなった。
 授業中のためか、音も人の姿も全く持って耳にも目にも入ってこない。教室があるのは2階からだし、職員室は別の棟。実習室を使う授業が無い限り保健室から周辺の一体は人が集まる場所とは思えないほど静かになる。広がる静寂の中、引っ張る京太郎の堂々とした足音と、引っ張られる日暮の不規則な足音だけがやけに目立った。自分のために急いで来てくれるであろう保険医に心の中だけで謝りながら、そのまま裏口から校舎裏へと二人して来た。



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