Ghost Apple 14

「………何、京太郎くん。」
 遠くから聞こえる車の通過していく音は、きっと二人の存在を感知することはない。そんな環境音は横に流して、握っていた日暮の腕をぱ、と離した。やっとうかがい知れた日暮の顔は、やはり無表情に近い、それでもって少しの怒りで色をつけたものだった。
「なぁ、赤いほうの根付、お前が持ってんの。」
 気になっていたことをそのまま口にすれば、予想通りに日暮の眉間に皺が寄る。握りこぶしを作るのが見えて、また殴られるかな、と少しの危機感を持ったままに日暮の答えを待った。
「…持ってるよ。返しに来てくれたんでしょ? 僕以外の人間に渡すつもりなんてないから。」
「そ、か。ならいい。」
「それが聞きたかったの?」
「あぁ。俺はあのまま昏倒させられたわけだし、どっかにぽろっとやってお前じゃねー誰かが拾ってたりでもしちゃ大変だろ。あれはお前のもんなんだから。」
「…へぇ。」
 少し震えた声に含まれるのは、呆れか、怒りか。きっとどちらもなんだろう。分かりやすい目の前の日暮の表現に、思い出してしまったのは先日の、笑顔を少しだけ曇らせた日暮弟の顔。兄に比べてあまり表情を極端な喜怒哀楽に染めることがない彼のこと、頭に残ってしまっているのだ。
 頭に残っていたことと、これから発言することは、何の関係もないかもしれないが。
「………お前ら何があったの。」
「聞くの? それ。」
 俯いてしまった日暮の声は、やはり震えている。引きつった喉で精一杯に声を出そうとしているのがわかってしまったが、それでも言葉を止められやしない。
「…あいつ、言えないっつったけど。やっぱ寂しがってるよ、絶対。」
「誰のこと?」
「だから、お前の弟のこと。」
「………〜っ」
 詰まった息に、聞こえる歯軋りに、強く力を入れられた拳。顔はうかがい知れないが、物申したいことがいくつかあるのはそれだけで分かった。
「何があったか教えてくんねぇならそのまま言うけど。何があったとしても、家族に対してそんな扱いはよくないだろ。」
「…………」
「お前ら二人共、お互いに関心薄すぎると思うんだよな。俺は一人っ子だからわかんねぇけど、家族って仲良いのがあるべき姿なはずだ。」
 そのまま続ける京太郎に対し、日暮はまだ口を開かないでいる。
「お前は学校に来て、誰かと話す機会なんてたくさんあるだろうけど。何かしら理由があれ、あいつはあんなところに一人閉じ込められるみたいになってて、寂しくないはずがない。」
 あんな顔をするんだから。そう言おうとするが、目の前の日暮は京太郎自身が見た日暮弟の顔なんてしばらく見ていない。それを思い出して、口から出そうとした一言は胸の中にしまっておいた。
「親がどう思ってるなんか知らねえ。…でも、兄貴だってんなら、少し会いに行くくらいしてやったら。」
 あいつが、ここ数日であった人間は俺一人。たった数日の関係ではあるけれど、それでも薄暗い神社に一人だなんて、俺だったら耐えられない。その思いのまま話したことに少し説教臭くなったかと余計なことを考えつつ、俯きっぱなしの日暮を見つめた。やはり、目は合わない。
 かすかに震える日暮の拳は、答えを迷っているのか、おせっかいな京太郎に腹が立っているのか、それともまた別の理由があるのか。京太郎には考えも及ばない"他人の思考"からの返事を待っていれば、酷く長く感じる沈黙の後、日暮が顔を上げた。
 その目には、うっすらとした涙を浮かべて。
「…もう、弟の話はしないで。」
「どうして。」
「頼むから。」
「だから、っ!!」
 縋るような声になおも言い募ろうと日暮のほうへ一歩踏み出してみれば、どん、と体を突き飛ばされる。先日昏倒させたのを考慮してなのか、拳は飛んでこなかった。それでも唐突の衝撃にしりもちをついてしまうが。
「日暮っ、」
 似たように乾いた声を、どこかで発したような気がする。自分の喉から出た声に純粋な感想をつけながら、立ち去る日暮の後姿を呆然と眺めた。とても重い足はその背中を追いかけさせてはくれない。重い足を認識すれば、足から上へ上へと重苦しい何かがせり上がってくるように体が重くなっていく。
 こんな体を引きずって出来たのは、本当に赤の根付を日暮が持っているかどうかの確認だけだった。一つため息をついて、少し這いすぐ傍にある壁へと背中を押し付ける。それだけの動作に息が上がる京太郎の体は、先ほどは全く感じなかった体の重さを訴えている。休んでいれば多少は動けるようになるだろうか、と思いの行動だったが、そのまま倒れてもよかっただろうか。勝手に倒れて勝手に抜け出して、先生方には多大な迷惑をかけてしまっているだろう。親がいれば手刀の一発や二発が京太郎の額に飛んできていたことは容易に予想できた。
「………はぁ。」
 目元を押さえて、ついには痛みを訴え始めた頭を休ませようとどうにか手に力を入れる。気休めにもならない仕草は、逆に頭痛を際立たせるようになったかもしれない。
 ―――ため息の理由は、それだけではなかったが。



←前 次→

戻る
inserted by FC2 system