Ghost Apple 17

 一人で考え事をしたいだなんて嘘に決まっている。寄り道ができなければ困るからだ。最後の晩餐になるかな、なんて思って、少し高めのケーキなんかに手を出してみた。クリームをふんだんに使われた白いケーキはとても美味しそうだが、所詮はコンビニエンスストアで購入した物品。味なんてたかが知られているだろうが、水準の高いとは言えない京太郎の生活からすればこれだけでも幸せなものだ。同じく買った缶ジュースと一緒くたに詰め込んだビニール袋は歩くたびにがさがさと音がする。明るい内でも人通りの少ない道だから、やはりその音は自然に隠されず耳に入ってきた。
 いつも通りの道を辿って、見ただけで放置されているとわかってしまう石段を見上げる。青い根付のぶら下がる携帯電話は、まだ昼と言える時間帯を俺に教えてくれた。緑のアーチが出迎えようとしてくれて、自然と険しい顔になる。登りきる前に倒れたりしなければいいが。いつもは授業終了後に踏み入れる土地、こんな明るい時間であれば少しは明るいものかと思ったが、射す日はやはり緑のアーチに遮られ、薄暗い階段を目の前に展開させていた。その薄暗い階段へと、一歩踏み出す。足元はどこかふらついているくせに、どこかすっきりとした頭は歩みを止めたりしなかった。

 どれだけ体調が悪くても、聞かなければならない。日暮の話を、その、日暮自身に聞かなければならない。





「…こんにちは。こんな時間に来るなんて何かあったんですか。」
 焦燥の思いに溢れたまま石段を登りきったとき、優しい笑顔で迎えてくれたのは袴姿の日暮。相変わらず竹箒を持って掃き掃除をしているが、落ち葉はあまり整っていないように見える。眉をハの字にした笑いを返して、「今日はケーキ。」と呟いて賽銭箱の向こうにある階段へと促した。いつも連れて行くのは日暮のほうなのに、今日は京太郎自身が歩いて行く。びっくりした顔の日暮に「早く」と言って、さっさといつもの階段に腰をかけて座った。急いで箒を裏手へと持っていく日暮の後姿を眺める。不自然なまでに綺麗に整えられた袴をまとっているのに、動きは当たり前ながら人間味溢れる仕草でどこか安心した。
 戻ってきた日暮は袋の中にあるジュースに気づいていたのか、盆に載ったお茶は持ってきていない。いたたまれなさそうにする日暮に「ケーキにお茶もあれだろ。」と言って、丁寧に袋から取り出した。
「…すみません。」
「好きでやってんだからそんなこと言うなっての。」
「はい。」
 それでもまだどこか引っかかる部分があるらしい日暮の頭をぼすぼすと叩く。…というには力は込められていない、一種のコミュニケーションだが。
 偏頭痛は来ない。
「ちょっと高めのやつだから美味いと思うけど。」
「じゃあ二パックも買ってこなくてよかったじゃないですか。一パックに二つ入ってるやつなんですから。」
「俺が二つ食べたかったんだよ。」
「別に僕は…」
「俺が持ってきたもんは食べたくなかった?」
「………その言い方はずるいです。」
 やはりまだ不満そうな顔をした日暮に少しだけ笑顔を渡して、ケーキにくるまるビニールをはがしていく。同じパックを渡せば日暮も同じようにビニールをはがして、プラスチックで出来た白いフォークを持った。
「そんな顔じゃ美味いもんも美味くならねーぞ。」
「こんな顔をさせてるのは京太郎くんでしょう。」
「それもそうだな。」
 笑ってフォークを美味しそうなケーキにぶすりと刺せば、コンビニのものにしては柔らかいスポンジが蹂躙されている感覚に陥った。蹂躙しているのは自分自身か。
「それで、京太郎くん。」
「ん?」
「何でこんな時間にここへ来たんですか。制服ってことは、学校に行ってないわけでもないんでしょう?」
「そうだな、学校の帰り道だ。」
「どうしたんですか。」
 心配そうにこちらの顔を窺うが、手元のケーキを食していく動作に休みはない。そんな日暮にどこか穏やかな笑みを浮かべてしまう。
 先日は盛大に慌てて特別ってわけじゃないとは言ったけれど。日暮は、京太郎にとって、とんでもなく特別な存在になるだろう。この笑みだって、自然と神社へ向かう足だって、今ならちゃんとした理由を見つけられるから。
「なぁ、お前って日暮か。」
「日暮ですけど。僕の話聞いてますか。」
「何でこんな時間帯にってのは後で話すから。お前は、学校にいる日暮と、どう違うんだよって話。」
「見た目は似てるかもしれませんけど。僕は、君が知る日暮の、弟です。」
 その不満そうな顔は、先ほどの不満そうな顔とはまた違う原因のものなんだろう。一言一言を大事にしたような日暮にまた笑みを浮かべつつ、「そうか。」と返す。
「それで、学校早退してまで何してるんですか。というか何があって学校早退しちゃったんですか。」
「あ、そこまで言わなきゃなんないんだ。」
「是非聞きたいですね。理由によってはすぐに帰します。」
「いやーそう言われると言いたくなくなっちゃうなー」
 少しふざけてみるが、睨みを聞かせた日暮の目しかもらえない。目をそらしながらうはは、と怪しい笑いを一つ出して、ごほん、と咳払いをしてから口を開いた。
「栄養失調?とかなんとかで倒れてさ。」
「帰ってください。」
「いやっ保健室で休んだし大丈夫だって。」
「栄養失調なら休むだけじゃダメだと思うんですけどどうなんでしょうか。帰ってください。」
 不機嫌そうな日暮の態度に唇を尖らせる。子供のような仕草は、ふざけていると捉えられても仕方のないことだろう。
「もー。栄養失調で倒れた体引きずってでも来た理由わかってくれよ。」
「………寂しくないですよ。明日も来てくれるなら。」
「それとはまた別の話。まぁ、お前が寂しいって言うなら俺はずっとでもここにいるけど。」
「どうしたんですか。頭打ちましたか。」
「確かに頭打ったかもしんねえけど酷くねぇか。」
 先ほどは京太郎が日暮の頭を叩いていたわけだが、次は日暮が京太郎の頭を心配そうに撫でる。京太郎にとっていろんな意味で不本意でしかないのだが、それさえも日暮には嬉しそうな顔をした。最初に「どこか上の空だったから」と言ってチョップを京太郎のわき腹に繰り出した彼であるが、コミュニケーションの方法はどこか温かみを感じる。その手は、驚くほど冷たいくせに。
「…どうしたんですか、京太郎くん。」
 先日のわき腹に来たチョップのように悪態をつかなかった京太郎に不安を感じたのか、眉を下げ首を傾げてくる。小動物のようなその動作は、京太郎をとても穏やかな気持ちにさせた。
「なあ。」
「なんです。」


「…日暮っていう兄弟の話をしてもいいか。」


 京太郎としては意を決しての発言だった。細い針金を一生懸命伸ばそうとしたような必死さの溢れる声に情けないと思いつつ、日暮の返事を待つ。
「いいですよ。」
 しかし、日暮がくれたのは、京太郎の震えそうになった声とは全く違う、しっかりとした声だった。



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