Ghost Apple 21

「は、」
「え?」
 突然の英介の言葉に、雄介も京太郎も呆けた声を出す。そんな二人などお構いなしに、「な、お願い!」と雄介の肩を掴み揺らした。
「ちょ、ちょっと、兄さ、」
「俺らのバス初めての先生だったし、名前聞かれるだけだろうから。全然違う人間なわけじゃないし、バレたりしないって!」
 おい英介、という京太郎の声も虚しく英介は聞く耳も持たない。とりあえずがくがくと揺らされ顔を青くしてきた雄介を英介の腕から離し落ち着かせると、英介はものすごい勢いで京太郎のほうを睨んで来た。
「…何考えてんだお前。」
 素直に出て来た感想は口に出さないべきであると、当時の京太郎は思いもしなかった。
「だって、雄介の近くにけーこちゃんいんだもん!」
「けいこさん…松浜さん?」雄介が戸惑ったように言う。
「そー、けーこちゃん。同じ学校だから覚えてるだろ。」
「覚えてますけど…」
「近くだろ? だから変わって!!」
 また雄介に掴みかかりそうになる英介を止めて、ため息をこぼす。京太郎のそのため息をどう受け取ったか、「文句あるかよ!」とジャンプして主張してきた。頭をぼりぼりかきながら、京太郎は一言こぼす。
「修学旅行でくらい我慢しろ。」
「やーだー!! な、絶対バレないから!ゆーすけいいだろ?!」
 どうしても、どうしても、と駄々をこねる英介に、京太郎と雄介は二人顔を見合わせる。初対面も同然な二人のはずなのに、「あーあ。」と呟きたくなる気持ちは全く同じであった。
「………行きしだけ、ですからね。」
 諦めたような雄介の声は、英介のガッツポーズと共に出された歓喜の声に掻き消された。



「兄がすみません。」
 その後急いで二人は個室へ入り、服装を変えることにした。英介は髪を水で濡らして穏やかにさせて、高いテンションのまま走ってトイレを後にした。京太郎と英介は一緒に来たのだから、戻るときは京太郎と雄介、一緒になったほうがいい。そんな英介の提案を鵜呑みにして一生懸命髪を立たせようとする雄介を眺めていたのだが、そこまで考えなくともよかったのでは、と今では思う。
 それからどうしても兄のようにならない、とうなだれる雄介の頭をがしがしと撫でてやり、大急ぎで元のバスへと戻ってみれば。トイレに行くとき声をかけた先生が角の見えるような顔で少しの説教を飛ばしてきた。他のバスはもう行ったぞ、君たち二人を待って一つ残ったんだから。運転手さんとそのほかの人に謝りなさい。荷物を引っつかんでこれまた大急ぎにバスに乗り込み、運転手とその他バスに乗る人間達に頭を下げることとなった。先生に雄介のことはバレはしなかったのだが、苛々とした感情が心に焼きついたのは言うまでもない。
 ついでに、遅れたおかげで荷物を預けられずに自分たちの手で持つことになった。無表情な雄介の「あとでしばきましょう」という言葉はどこか恐怖を感じつつ、同意せざるをえなかったことだ。
「…お前が謝ることでもねーよ。えっと、雄介。」
「はい。」
 あっさりした返事にがくっと肩を下げると、雄介は「でも、」と口を開く。何だと思って雄介の顔を見てみれば。
「このバスの中でだけは、僕は英介です。僕と君との秘密ですよ、京太郎くん。」
 子供っぽさなんて全く感じない、穏やかな笑顔が京太郎を見据えていた。
 思わず言葉を失って、しかしそんな自分をごまかすように、無理矢理「英介、」と呟いた声は、とてもか細い不気味なものになった。



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