Ghost Apple 29

 荷物を掴もうとした手から力が抜けていく。どうして、なんで、そう思いながら京太郎は、何か映そうと必死な瞳を邪魔する瞼にしっかりしろと訴えかけて、必死で目を開く。動かない右手にどうしたものかと目を運ばせて、みれば。


 そこに見えたのは、赤い世界だった。



*   *   *



「赤。」
「赤ですか。」
 そう、赤。重くのしかかるような言い方で繰り返す。ため息をついた京太郎をどう思ったのか。日暮は結露をまとわりつかせた缶ジュースへと手を伸ばした。




*   *   *






「…雄介。」
 どこか遠くで叫び声が聞こえる。「どうして、」「なんで。」先ほど自分が思った感情をそのまま叫ぶ大人の声にひどい子供の泣き声が入り混じって、電源を切ってしまいたくなったが、その発生源は周りにいる、確実に存在する"人間"だった。電源、切れないな。
「雄介。」
 右手は動かない。肘から先は赤い液体に濡れていて、掌なんかは、原型も留めていないんじゃないだろうか。あまり見たくなくなって、目を逸らす。腕だけじゃない、そこかしこに広がる痛みも赤も自分の思考をかき乱していくはずなのに、それでも雄介を見つめたがる気持ちは乱れもせず、見つめろ、早く、見つめろ、そう自分の頭を、視線を急かした。
 それでもすぐに、言葉にならない後悔が押し寄せてくる。
 ああ、ああ、あぁ。
「助けてって、言えよ。」
 上も下もわからなくなるような、薄暗いバスの中。実際、自分の立っている場所は、床として、足をつける場所としてある部分ではない気がする。そんな中で呟く声は、バスの発する不気味な、まるで獣の唸るような音に掻き消される。
 そこで、状況を、少しだけ理解した。どこかで…新聞で、見たことがある気がする。
 それからまた、がた、と地面が揺れた、気がした。あぁ。
 地面じゃない。
 それでも、たとえ揺れていても、炎が燃え盛る煩わしい音が大きくても。すぐそばにいる、隣にいる人間ならば、気が付くほどの音量のはずだ。
「なぁ、ゆーすけ。」
 体をそちらへ寄せようとする。雄介がいる場所へ。そう思うが、体は中々動いてくれない。せめて腕だけでも、と思うが、とりわけ右腕は動いてくれなかった。そんな右腕に舌打ちしながら、痛みはあるが動いてくれるらしい左腕を雄介のほうへと持っていく。バランスが悪かったのだろう、少し触れられた雄介は、ぐらり、傾いて。力の抜けきった体を、京太郎へと預けるように倒れこんだ。
「引っ張り出して、外に連れ出して、やるから。」
 言っただろう、ついさっき。連れ出してやるからって。王子様じゃなくて悪いけどって。
「なあ、言って。」
 京太郎の声は、もうすぐ泣きそうな程に追い詰められている感情を、そのままぶつけるように表現していただろう。それでも非情な炎の出す音は鳴り止まない。むしろ、大きくなるばかりだ。
「言ってよ、」
 左腕で、雄介の体を抱きこんでみる。
 そう。
 腕も、背中も、頭も。
「頼むから、」
 足も、顔も、掌も。
「言ってくれ」
 最期くらい、反応してくれればいいのに。そう思いながら、問いかける。

 透明感のある声を出す、あの喉さえも、割れた硝子が突き刺さる、その、体に。






 反応、してくれればいいのに。せめて、少しだけ、見開いたまま停止した瞳を、こちらに向けてくれればいいのに。それだけでも十分だったのに、なぁ。
 でも、よくわからないけど。よくわからないけど、安らかに目を閉じた顔も、見たかったかもしれない。どうしてかなんて、知らないけどね。

 京太郎の記憶は、雄介を抱きこんだまま、遠くで鳴る鈴の音を最後に途切れ、絶えてしまった。



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