Ghost Apple 30

 目を覚ましたのは白い、どこまでも白い箱のような部屋の中、更に白いベッドの上だった。
 傍に居たいくつもの人が、涙を流す。
 傍に居たたくさんの人が、自分により、もみくちゃにしようとする。
 おぼろげな記憶の中で、倦怠感の酷い体にうんざり思いながら、からからの喉から、とくに涙した女性に、一言。
「…誰?」
 誰もが凍りつく空気は、発するべき言葉ではなかったと思い。
「誰、ですか?」
 しかし敬語に直しても改善らしい改善は見つからなかった空気は、ほとほと京太郎を困らせた。

 それからの記憶は、激動、と言うほか無かったかもしれない。

 思い出せ、思い出してくれと泣き叫んだその人は、自分の母であった。母の顔を忘れていた。
 でも思い出した。
 同じように、たくさんのことを思い出した。
 そう。輝北という土地に住んでいたことも。通っていた小学校で、修学旅行に行ったことも。集合に遅れて、雄介と2人怒られたことも。
 そして、その最中、バスが横転したことも。
 そのおかげで、雄介は、雄介は。

 受け付けようとして、それでも滝のように流れ続けたおかげで受け付け切れなかった記憶のせいで、丸二日間は泣くか叫ぶかで過ごした、というのは後から聞いた話だ。本当にぽっかりと穴が空いて、気が付いたときには、警察と名乗る男性へと事情をかいつまんで話していた。
 今思えば酷な話だ。調整中だった柵が横転したバスのガラスを突き破り数人が死亡した中奇跡的に生還したなんて言われても、重症な小学生に事情聴取なんて考え無しにも程がある。しかも、事故のおかげで記憶喪失寸前で、抜け出して恐慌状態に陥っていた人間に対して。そんな人間の証言がどれだけ影響するかなんて今でもわからないが、とにかくその時は、覚えていることを口走ろうと必死でいた。
 隣にいた雄介。
 隣にくることになっていた英介。
 松浜圭子。
 揺れたバス。
 遠くで、聞こえた気がする、「ブレーキ」という大人の叫び声。
 それだけでよかったのか、男性は「間違いない」とメモをとってその場を後にした。あの言葉の羅列がバス会社の傾きを変えてしまうと知ったのは、それもまた後に聞いた話である。
 それからと言えば、周りは京太郎を"京太郎"として留めようとするばかりであった。
「私のこと覚えてるよね?」
 親も友達もそればかりを口にする。病院にいる間だけで何度言われたことかわかったものではない。暇な限りの入院生活の中、人から聞ける言葉はそればかりで、人と会うのが嫌になってくるときもあった。でも実際、覚えていない人間もちらほらいて、上手く言い返せやしない。雄介も、こんな気持ちだったのだろうか。
 そういえば、雄介はどうなったんだろう。誰も何も言ってくれない。雄介、雄介は?
 ぐるぐると頭の中を何かが渦巻いていく。後悔?そんな感情じゃなくて。雄介?記憶じゃなくて。でも、どっちもが混ざったような気もして。なんだろう、なんて言いたいんだろう。わからない。わからないけど、どうしてか、責められている気がした。きちんと頭に残っていた。自分でもどこかで理解していた。自分が生き残った理由。
 割れたガラスは"たまたま"立ち上がった雄介が庇って、右腕以外には重症らしい傷はなかった。
 横転の際叩きつけられた体は、"たまたま"雄介からぶんどった英介の荷物がクッションになってくれた。
 そう、たまたま。ラムネが散らばって、雄介からは取りづらそうな位置にあったから、とってあげようとして、京太郎が。
 そう、たまたま。細い腕で重い荷物はつらそうだったから、持ってあげようとして、京太郎が。
 そう、京太郎が。自分が。京太郎自身が。
 よかれと思って、雄介を、



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