Ghost Apple 3

 新学期が始まって、丁度一週間。高校にいる間の時間の流れは早く感じるもので、頭を抱える授業や、クラスメイトとの楽しい時間にも、少しずつ馴染んできているところだった。もっぱら、隣にいるのは日暮だが。席は近いし、あんな始まり方でも切っ掛けにはなっているのか話しかけやすい。この土地に住んでいるのは勿論日暮のほうが早いし、それでも元転校生という視点から周辺について色々と教えてもらっていた。
「………っ。」
 教室を射す光に赤みが増してきた頃。京太郎は、ずきんと痛んだ頭を左手で抑えた。
「また頭痛? 多いね、君。」
 心配したような日暮の表情に気にするなとぶっきらぼうに返事をして、痛みが引くのを待つ。京太郎は偏頭痛持ちであり、引っ越す前では日常生活に支障が出る程の酷さであった。どうにも、気候が関係する偏頭痛もあるから地方により度が変わる場合もある、ということらしい。そのため昔から引越しを検討していた。今回、突き放し気味の両親の引越しを了承したのも、一部この偏頭痛を理由にしている。
「大変だねー。」
「上手く付き合っていくしかないからな。しゃーねぇよ。」
「対策とか、痛みを和らげるとか、ないの?」
「あるにはあるんだろうけど。」
 どういうわけか、京太郎の体にはそういった対策が全く効かなかった。耐える以外の選択肢を持っていなかったのだ。来たのが人がまばらになる放課後でよかった、と心の中で呟き、治まった頭痛に安心の息をつきつつ立ち上がった。
「帰る?」
「あぁ。帰宅部が残る理由はない。」
「送ってあげようか? 人通り少ないって言っても、車がゼロなわけじゃないしさ。道路にふらっと倒れちゃったりでもしたら、大変じゃない?」
「大丈夫だよ、そんなのは女にやれ。」
「…うん、わかった。」
 カバンを肩にかけながらそう言うと、日暮は少し寂しそうに頷いて、帰宅の準備をし始める。少し冷たい言い方をしてしまっただろうか。世話になることが少なからずある相手に対しては、あまり良くない当たりだったのだろう。申し訳なく思いながら、京太郎は教室を出る。
 吹奏楽部の練習風景がありありと想像できる音を聞きながら学校を出れば、家はそこまで遠くもない。極端に学校の数が少ないこの場所は、地獄のような自転車通学が求められる場合もあるのだが、京太郎の家とは徒歩15分程度の距離だった。そこは両親に感謝しつつ、人気の少ない道を歩いて行く。都会であれば歩道と言って差し支えない幅の道だろうが、田舎であれば平然と車が通るような道だ。後ろから車が来たりすれば、どうにかして避けなくてはならない。どれだけ田舎に住んでいても、どうしても慣れない事柄の一つだった。
 少し薄暗くなってきた空をちらりとだけ見て、元の歩みに集中する。場所によっては街灯なんてものはないので、本当に真っ暗になってしまうのだ。動物でも蹴飛ばしてしまえば、を考えると早めに帰りたかった。
 ………そう、考えていたところで。
 どすん、と聞きなれない音が耳に入る。何か重たいものを、落としてしまったような音。動物?かと思ったが、それにしては大きすぎる。イノシシ、それか熊?なんて考えまで出て来るが、そんな話があれば学校側が注意喚起を出すだろう。全く耳に入っていないということは、
「もしかして………人、だったり?」
 だとすればあの音、腰だとかから落ちた音になるぞ。そんな考えが京太郎の頭にくれば、探る他なかった。もし老人が事故に遭っていたりして、ほったらかしで帰ったとなれば良心が痛む。暗くなる前に帰れるかな、と小さく呟いて、音の聞こえたほうへ向かって歩き出した。
 コンクリートが目立つ道なはずなのに、さく、さく、という草が潰れる音がする。田舎でも更に人が足を踏み入れない地帯であることはすぐにわかった。帰りの道は大丈夫なのか、それ以外は何も考えずに先へ先へと進むと、これまたヒビと草がまず印象的な石段が見える。一応、ステンレス製の手すりはあるのだが…。
「ここ、から…か?」
 何、とは言わないがいかにも"出そう"な場所だ。そう思いつつ一段目に足を置くと、こつりという乾いた音が革靴から聞こえてきた。夜だからこそなのだろうが、ここまで音が響かれると少しの恐怖が湧いてくる。ぶんぶんと頭を振って、「誰かいるのか」と、強めの言葉で自身の声を響かせてみる、と。

「…誰か、いるんですか?」

 どこかで聞いた、透き通るような声が耳に入った。
「あれ、その声…?」
「すみません、ここです、ここ。」
 そう言われ見渡すが、人の姿はない。声のした方向へと向いて見るが、階段から横に外れた、斜めの土壌があるだけだ。それでも、そこからパキ、と落ちたらしい枝が折れたような音が聞こえる。どういうことだ、と背筋を冷やしながら近づいてみれば。
「あ」
 人はいた、のだが。
「すみません、ここに穴がありまして。落ちちゃったんですよ。」
 薄く汚れた和服をまとう、日暮の姿がそこにあった。






「制服汚れたわバカ。」
「すみません。ありがとうございます。本当に助かりました…。」
 浅葱色の袴姿に敬語、と怪しさ満点の日暮を必死に穴から引きずり出すと、こちらへどうぞと階段の先へと連れられ、古びた神社へと通された。手入れの行き届いてない階段周辺とは違い、古きよきを感じさせる場所。これまた古びた電気が神社内を照らし、周りの薄暗さと相乗効果をなして和風ホラーな雰囲気を思わせる。隣に日暮がいなければ、踵を返して帰宅していたところだろう。賽銭箱の向こうにある階段に座らせられて、お茶を出された。蚊が怖いと思えば、「蚊取り線香常備です」と渦巻く緑を指さした。…無表情で。
「掃除しようと思っていたら、おかしな穴がありまして。暗くて足元が見えなかったんですかね、落ちちゃったんですよ。」
「…そうか。」
 表情筋が仕事をしない日暮にいぶかしげな目を送るが、気にした様子もなく、袴についた土をはらっている。「洗わなきゃだめですね」と呟く日暮れの姿は、服装以外全く変わらない。なのだが、どこかしらに違和感を覚えた。
「………っ!!」
 ずきん、頭が痛む。一度来ればしばらく来ないと思っていたのに、また来るとは。京太郎のそんな様子にまずいものを受け取ったのか、「大丈夫ですか?」と頭を撫でてくる。柔らかい手は痛みをやわらげてくれることはないのだが、なんだか安心した。
「大丈夫。」
「そうですか。なら、いいんですけど…」
 そっと手を引っ込めた日暮は、先ほどから動かなかった表情が少しだけ労わるような顔になる。その表情が今日の日暮と重なって、今日の少し荒かった当たりに申し訳なく思い、「さんきゅ」と小さく声をかけた。
「っていうかその、………日暮?」
「はい。なんですか?」
 首を傾げながら返事をする、その言葉がもはやおかしい。上手く自分の中の日暮と一致しないその言葉に、京太郎は頭痛とは別に頭に手を当てた。そんな仕草などないように、は、と目を丸くした。
「どうして僕の名前を知っているんですか? 僕、まだ何も言っていないと思うんですが。」
「おい。確かに長い付き合いとは言わねーけど、学校で毎日会ってる相手に対してそりゃねーだろ。」
 不思議そうに首をかしげる日暮に対し、つい、放課後のような冷たい当たりをしてしまう。あまり褒められた態度でない自身の物言いは、もはや性格だ。心配してくれていた、という事実を考えしまったと思い、わざとらしく視線を逸らした。そのおかげで日暮の表情は見られなかったのだが。
「…兄を、知ってる人なんですね。」
「は、兄?」
 ぽつりと、呟かれた言葉を飲み下すのに、少しだけ時間がかかった。あぁ、日暮に声をかけられたときも、似たようなものだったなぁ。


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