Ghost Apple 4

「僕は学校に行ってないんです。体が弱くて通信制にしまして。で、僕は誰なのかと言いますと、僕、君の知る日暮っていう人間の弟になります。当たり前ですが、同じく日暮って名前です。いきなり下の名前で呼ぶのもいやでしょうから、日暮呼びでいいですよ。顔が同じなのは筋金入りの双子だからですね。それで、通信制にして全日の高校諦めたのはいいんですけど、高校入った途端病気が完治しちゃいまして。引きこもってばかりじゃよくないだろうからって、両親の知人にここの神社を任されているんです。まぁ、こんな田舎の神社に一々来る人なんていないもんですから、常に暇してるわけなんですけど。それでいつもは雑草だとか、どこかから来た枯葉の掃除だとかしてたんですけど、そういえばしばらく階段周辺が手付かずだったな、と。いつも裏道から行き来するもんだからすっかり忘れちゃってたんですよ。そんなバカを見る目で僕のほうを向かないでください。草ぼうぼうをほったらかしていたのは僕の責任です。はい。それで、久しぶりに階段のほうに行って掃除しようと思ったら、よくわからない穴に落とされちゃいまして。近所の子供が遊びで掘ったんですかねぇ、それにしては深すぎるくらいに深かったんですけど。もしかしてあの世への穴だったんでしょうか。そうだとしたら京太郎くん、本当にありがとうございます。いや、田舎では計測に使う砂場に落とし穴作って猫を殺す小学生もいるんですから、別にとくにおかしいわけではありませんよ。そこで土まみれになってどうしようかと思ってたところで、京太郎くんが来てくれたんです。来てくれなかったら壁少しずつ崩して自力で脱出になってたところでしょうから、本当に感謝していますよ。神様に捧げ物をする指が汚れるとなると…あぁ、神社内に電気つけてある時点で色々とお察しでしょうか。だったら隠す意味もありませんかね。手汚れるのいやですし本当に感謝してますよ。京太郎くんの制服も申し訳ないです。あの穴もどこかで埋めておかなくては、あんな入り口だと更に人来なくなっちゃいますもんね。検討しておきます。あ、ちなみに浅葱色の袴は神主の位として三級・四級を示すものなんですが、僕はその両親の知人の息子さんのものをお借りしているだけで、特にそういう役職についているわけではありません。あしからず。」
 以上、大丈夫ですか? 彼は首を傾げるのが癖なのだろうか。ややこしい出会い方をした京太郎という原因もあるだろうが、こうも小動物な動作を頻繁にされたところで、口数の少ない京太郎が何か反応できるわけでもない。
「日暮の弟、か…。」
「今少し、複雑な家庭事情で喧嘩中みたいなことになってるんですけどね。しばらく姿を見ていなかったけれど、やっぱり僕とそっくりでしたか。」
 ここでも来る、家庭事情という言葉。日暮兄とは使うのは京太郎側だったのだが、何だか似たような話題に反応してしまう。双子だからなのだろうか。敬語はあっても、話し方はフランクだったし。
 それにしても、複雑な家庭事情とは。日暮弟の様子から見て、連絡すらも取り合っていないことは見て取れる。兄弟間のやり取りが完全に絶たれる家庭事情や喧嘩なんて、そうそうないだろう。一人っ子だから想像しづらいだけなのだろうか、と自身の考えに現を抜かしていれば、京太郎のわき腹にチョップが入ってきた。
「…なんだよ。」
 が、そこまで強い力ではない。
「なんだか深く考え事をしているみたいだったので。」
「普通に呼べ。」
「面白くないじゃないですか。」
 兄よりも弟のほうが少し外れた性格をしているらしい。一言にまとめられた日暮弟の人柄をしっかり記憶に残しつつ、「じゃかましーわ。」と頭に一つ、左手で軽いチョップを入れてやった。…ところで。
「ッ!!」
 ずきずきとした痛みが頭の中を襲い、つい、顔を俯き抑えてしまう。焦ったような「京太郎くん?」という日暮の声など耳に入らず、心臓と同期するような音が自身の聴覚を捻り潰すように意識を埋め尽くし、次いで痛みで目の前が捻じ曲がるかのごとく大きくゆがみだした。偏頭痛、だろうか。こんなのは初めてだ。
「京太郎くん、大丈夫ですかっ。」
「ぅ…………くっ、」
 立っていれば倒れてしまっていただろう痛みに、座らせられていた階段に手をついてやり過ごそうとする。手にぶつかった、先ほどよりも少しだけ中の量が減っている湯のみが倒される。
「きょうたろっ………」
 つい近くにいた日暮の袴を掴んでしまうが、何かを考えられる暇はない。しかし、掴まれた驚きで言葉を切った日暮の声が耳に入ると、意識を埋め尽くしていた心臓の音が引いていく。気が付けば荒くなっていた呼吸に気づいて、ゆっくりと、深呼吸しはじめた。
「………わるい。」
 少し皺になってしまっている袴を申し訳なく思いながら、するりと手を離す。自分より身長の低い相手に対して、みっともない姿になっていないかと考えたが、この場にいるのは京太郎と日暮の二人きりだ。
「いえ。突然だったのでビックリしたもので…」
 何がおこったのかと、と未だに落ち着かない様子の日暮の右手に、再度「わるいな」と謝る。気にしていませんけれども、と何か言いたげな様子を見て、どうしてこんなにも焦るのか、ということを思い出した。
「俺、偏頭痛持ちでさ。あんなデカいの初めてだったけど…たまに、あるんだ。気にしなくていい。」
「そうなんですか? 薬、持ち歩いていないんですね。」
「昔っからどうにも効かなくて。体に合わないんじゃないかって医者は言ってたんだけどさ。」
「そうですか………。」
 先ほどの尋常でない様子を見てしまった日暮にとって、軽い返事のできる代物ではない。しかし、会ったばかりの京太郎に、かけてあげられる言葉も、持ち合わせていなかった。眉を下げた日暮の表情からそれを受け取った京太郎は、「もう大丈夫だから」と微笑む。
「ありがとな。」
「何もしていませんよ。」
「袴皺んなっちゃってるだろ。」
「どうせ借り物ですし。気にすることでもないです。」
「お前口調の割りに神経太いな。」
「よく言われます。」
 先ほどと全く変わらないトーンで話してくれる日暮にいくばくかの安心を感じながら、抑えたおかげでぼさぼさになってしまった髪を整える。ついでに上を見上げてみれば、もはや真っ暗に近い空が神社ごと包んでいるような感覚に襲われた。そうか、もう夜の時間帯。
「………お茶しか出せませんでしたけど。帰りますか?」
「あ? あぁ…帰り大丈夫かな、」
 なんとなく見上げた動作に時間を気にしていると思ったのか、日暮がまたも首を傾げ聞いてくる。
「懐中電灯なら裏にあったと思うんですけど。いります?」
「あー…」
 唸るような京太郎の声に、目を瞬かせてもう一つ、と力を込める。
「慣れない場所でしょうし、暗い道油断してたらおかしな溝に足突っ込みますよ。是非持って行ってください。」
「………もらうわ。」
 強い日暮の言葉に観念するように、小さく了承の意を返す。あれだけ大きい頭痛が起きた後、まだ少しぐらつく視界の上にこの暗さであれば、何かとんでもないことが起こってしまうのは容易に想像できる。その中で自ら視界を閉ざすようなことは、出来るだけしたくはなかった。
「じゃあ、少し待っていてください。」
 少し待て、と犬にでも躾けるときのような手の動作を見せてから、ひょこひょこと神社の裏側へと向かっていった。暗くても浮かんで見える浅葱色の袴は、不自然なほどに整って見えた。まるで絵みたいだ。そんな後姿が見えなくなったところで、そういえば、と思い返した。
 頭痛が来たとき、日暮は…日暮兄は、「送ってあげようか?」などと別の意味で頭の痛くなる台詞を吐かれたわけなのだが、日暮弟はそこまではしてこなかった。全く同じ顔でも、当たり前だが違うところはあるんだな。まるで心配してくれない日暮弟に対し文句をつけたがるような考えに、つい、笑いがこぼれてしまった。会って少しの人間に何を言っているのか。先ほどの頭痛のおかげで少しナイーブにでもなっているのだろうか。バカらしい自分の考えは捨て置いて、放置されていた倒れている湯のみを元に戻す。勿論のこと、下に落ちた中身は元には戻らない。せっかく出してもらったものに悪いことをしてしまった。
 渋いお茶だったなぁ………


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