Ghost Apple 34

「それでも思い出したことは頭痛と共に忘れていった。」
 感情の抜け落ちた顔で頷く日暮はただ無心に、前を向く。ケーキの入っていたパックは空になり、缶ジュースも中身はほとんどない。
「覚えていることを思い出しても、また頭痛と一緒に忘れて行く。」
 京太郎のほうにあるケーキは、あと少し、残っている。それでも添えられたプラスチックのフォークを見る限り、もう食べようという気はあまりないのだろう。
「でも、みんなは…とくに親は、諦め切れなかったんだろうな。"京太郎"が"京太郎"じゃなくなっていくのが、嫌だったんだろ。」
「どうしてですか。」
「だって、忘れんだぞ? 優しくすれば頭痛の後に誰。自分の腹から出て来た子に言われんのは色々考えるとこがあったんだろうな。」
 目を閉じれば思い浮かぶのが、昔の記憶が邪魔をしていた状態で、思い出させようと必死な両親の顔。せめて、自分たちのことだけでも。本人の体を考えても引っ越したほうがいいと言い張る医者を跳ね除け頑なに住んでいる土地を変えずに、しばらくの間過ごしていた。
「なんか京太郎くんの言い方、やです。」
「やですて。でもそんなもんだろ。」
「…親子って、お腹から出て来たとか、そんな文字だけの関係じゃないと思いますよ。」
「そうかね。そうだといいな。」
 幸いにして数年の後、忘却症はなくならなかったものの頭痛の頻度は格段に落ちていったので、偏頭痛持ちと似たような生活で収まった。
「でもやっぱ、距離らしい距離はとっとかなきゃ酷かったんだろうな、頭痛。放任主義っつったって、家に帰ってこない時間のほうが多いってのはおかしいだろそれ。」
「それはそうですね。」
「んでもって構われるのと直結するのが頭痛ってんなら、俺だって納得するっきゃなくなる。まぁ、それは考えてのことじゃなかったんだけどさ。」
 特に痛みもしない頭をぼりぼりと掻いて、はぁ、とため息をひとつつく。暇になってしまったのか子供のように足を揺らし始めた日暮は、思ったことをそのまま口にした。
「でも、こっちに来たんですね。」
「ん? おう。」
 両親が傍に居ない今、引越しの理由としては予測することしかできないのだが、ほぼ当たりと言っていいだろう。
「多分、頻度は少なくなったけど、頭痛の酷さは大きくなってったんじゃねぇかな。ホントにここ来たときには昔のところなんてなーんにも思い出せなかったし。」
 昔住んでいた土地。17年過ごした土地。その中で育んだはずの人間関係。『17年』『友達』『土地』なんて単語の数々は自分の人生に寄り添うように出て来ても、細かな内容は一切思い浮かぶことはなかった。思い出そうとする度なのかどうなのか、頭痛と共にその日のことさえ忘れて行き。気が付けば目の前にいる日暮と過ごした日以外の記憶はおぼろげの彼方だ。挙句授業中に思い出そうとして、頭痛を越えて倒れてしまう始末。まぁ、それに関してはきちんとした食事をとることさえも忘れていたという事柄が関わっていなくもないだろうが。
 そんな自分の記憶の状況に、ついに両親は苦渋の決断で京太郎一人を新しい土地へと住居を移させた。仕事のせいで、そう言って。実際には、母親を切っ掛けとして物事を忘れて行く京太郎を案じて。
「でも、引っ越した場所が"ここ"だったのは、相変わらず諦め切れなかったのか、それともただの偶然か。偶然だったら俺は早急にこの地を離れたいところだな。」
 ここ。その言葉を強調して、空を見上げてみる。まだ昼と言って差し支えない時間帯であるせいか、視界を埋め尽くしたのはからりと晴れた青空だった。舌打ちしたくなるような思いはきっと、あの日とそう変わらない青空であったためだろう。
 ここ、この場所。そう、日暮への土産と思い何度か足を運んだコンビニは、今日行ったところではっきりと思い出した。横転した場所から程近くにあったコンビニの傍にある公衆電話のおかげで、自分達は息のある内に病院へと搬送され、そこで生死を分けた。

「お前を除いてな、雄介。」



←前 次→

戻る
inserted by FC2 system