Ghost Apple 35

 しっかりと、袴姿の日暮雄介を見つめる。抜け落ちたような表情の彼は途端に憮然とした顔になり、京太郎から視線を逸らした。
「………。」
 それでも言葉は止めてやらない。今度は、受け取ってくれるやつが、受け取って欲しいと思っていたやつが、目の前にいるから。
「そんな不機嫌そうな顔、初めて見たかもしんねぇな。」
「そうですかね。」
「英介が何してたって、そんなあからさまな顔はしてなかったもん。」
「自分の顔は自分じゃ見えないので、よくわかりません。」
「そっか。」
 反面穏やかな顔の京太郎は、弟でも見つめるように雄介から目を外さない。子供のように見えた彼の頭をぽんぽんと撫でれば、さらに不機嫌そうな顔になってしまった。
 いや、どうだろう。もしかしたら彼は、本当に小学生のまま時が止まっているかもしれない。だとしたら自分はお兄さんになる。
「…逃げますか。」
 不機嫌そうな顔を隠そうとしたのか。それともまた別の意図があってのことなのか。俯いて顔の見えなくなった雄介は、ぽつりと、そんなことを呟いた。
「なんで?」
「違和感ないんですか。」
「どこに。」
「………だって。」
 あからさまに言いあぐねている様子の雄介に、「逃げる理由なんてないだろ」と言葉をかける。
「日暮、…学校にいる英介からは逃げる理由があったかもしんねぇな。」
「どうして。」
「弟踏み台にして助かった奴が、全部忘れて目の前に現れたんだから。俺が殺されちゃうかも。」
「兄さんはそんなことしませんよ。」
「わかんねーぞ。人は変わるもんだから。それに肉親殺されてんだぞ?」
「仇ですか。」
「そーそーそれそれ。」
 からからと笑うが、雄介の顔は上がらない。
「…変わってなければ、兄さんはそんなことしません。」
「庇う?」
「違います。兄さんは僕が嫌いだったから。」
 感情の抜け落ちた雄介の声には、どんな感情が埋め込まれているんだろう。神社で一人過ごすようになるずっとずっと前から、雄介は一人だった。病院で。行事で。親と兄の他に声をかけてくる人間はいなかった。その孤独感とは一体どんなものなんだろう。群集に取り残された雄介の思いなんて、その群集にそのままいた自分が計り知れることじゃないのだろうけれど。
「喧嘩別れってこと?」
「違うんですよ。そういう嫌いじゃなくて。いなくなればいいって思ってましたよ、あの人。」
「そうかね。」
「そうです。」
 そんな感覚はまったくなかったが。顔に出ていたのか、京太郎の表情を見てまた一つ、雄介はため息をついた。
「僕の両親は、病気がちな僕にかまけるばかりで、兄さんとは少し距離が出来ているようでしたから。いいないいなって、そればっかり言ってました。」
「ひっでぇなぁ。」
「酷いですよ。元気に外で遊びまわった後、点滴と呼吸器に繋がれた僕をみて、雄介はいいなって言うんです。隣には親がついてるからって。」
 俯いたまま、雄介の右手は自分の左腕の、肘のほうへと持っていかれる。すぐさま常に点滴が刺さっていた場所と察して、黙り込んだ。京太郎が何か言うだけ無駄だ。
「あの時はじゃあ代わってくれなんて本気で思いましたよ。外の空気が吸えないんです。歩けないんです。友達なんかいないんです。空なんか窓越しなんです。外の空気を存分に吸い込んで、外で友達と走り回って、日に照って少し汗にぬれた体で、雄介はいいなって。悔しくて悲しくて。でも当り散らすほど体力もなくて。いっそ簡単に楽になりたいって思ってました。」
 体調が良い日だってあったはずだ。それでも小学校を5年に満たないほど過ごして、余裕で片手で足りる程度しか行事に参加できないほど、体調が思わしくない日のほうが多かった。そんな雄介に向かって小さな英介が吐いた無邪気な言葉は、2人の間に溝を作ってしまったことだろう。
 それでも、英介の気持ちがわからなくもない。自分だって両親を仕事にとられて一緒に遊ぶことなんてほとんどなかった。同じ食卓を囲むのだって一般家庭と比べて格段に少なかったものだ。両親をとっていったのが仕事だったために京太郎は我慢する他無かったが、それが英介のようにたとえどんな立場でも、どんな状況だとしても、人が両親をとっていってしまっていたら、そいつにぽつりと嫌味を溢していただろう。
 生憎英介がこぼした純粋な言葉は、嫌味ではなく羨望だったのだが。だからこそ雄介は、真っ向から喧嘩腰になるようなことはできなかった。子供の純粋さは中々捻じ曲げられない。捻じ曲げるほうが難しい。子供同士でもそれはきちんとわかっていたのだろう。



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