Ghost Apple 5

「はい、懐中電灯です」
「おわっ!」
 ぱ、と目の前に現れたのは、顔の下から懐中電灯をあてる日暮の顔だった。
「この雰囲気でそれはやめろ日暮…」
「デカい図体で、意外とビビりなんですね。」
「もうちょっと遠まわしな言い方をしろ!」
 唐突に現れた日暮に顔を真っ青にする京太郎は、180に届く身長を持ってしても情けないと言える。
「懐中電灯です。帰りは気をつけてくださね。」
「ありがと。また返しに来るわ。」
「神社の備品になっちゃうんで、なるべく早く返して欲しいですね。まぁ、なるべく。京太郎くんにも予定はあるでしょうし。」
 日暮の言葉に、ああ、という了解の言葉を紡ぐ前に、「それと」と遮られる。
「これ、あげます。」
「これ………?」
「根付です。」
 そう差し出されたのは、綺麗な装飾のついた、青いストラップ。青と白のビーズが花をかたどるように糸でまとめられ、鈴と一緒になっており、それがストラップとして黒い紐に繋がっている。
「ストラップって言い方もあるでしょうが、正確には根付と言います。ストラップと言えば装飾目的になるのですが、これはお守りですね。」
「お守り………。」
 何故、という言葉が前に前に出ようとする前に、その根付とやらを差し出す日暮の目を見つめる。
「僕のお古ですけど。あんな頭痛がまた来たとしたら、まともに帰れないじゃないですか。」
「それとお古のお守り関係あるか。」
「だから、僕のお古ですけど、頭痛が来ないようにってお守りです。」
「………。」
 先ほどまで心配してくれない日暮弟に拗ねていたくせに、差し出された根付の一つで本当に心の底からバカらしくなってしまった。
「………ふは。」
「笑うなら心の底から笑ってくださいよ。そんな乾いた笑いじゃ逆に虚しくなります。」
「違う違う。いや、もらっていいか? それ。」
 むずがゆい気持ちで言葉を続ける。
「心配してくれねーんだなと思ってたんだけどさ、お前やっぱ日暮の弟だな。」
「拗ねてたんですか。」
「拗ねてたわけじゃねーよ。」
 いまだにぷらぷらと日暮の手に釣り下がっている根付を受け取ろうと、自身の右手を差し出す。
「でも、貰ってくれるのなら、是非。」
「ありがと。」
 そうやり取りし、京太郎の差し出した右手に根付が置かれ…
「…っと、」
 ようとしたところで、京太郎の右手から、青い根付が乾いた音を立てて落ちた。
「わり、わざとじゃねーんだ。」
「…汚れちゃいましたかね。」
「す、こし。」
 ビーズの合間に入り込んだ砂を、出来るだけ丁寧に払う。その間も、やはり乾いた音が鳴るだけだった。
「………鈴、ならねーな。」
「中でさびついちゃってるみたいで。古いものですし。」
「そっか。」寂しそうな言葉は、するりと流す。「借りるな、この根付。」
「あげますよ、京太郎くんに。僕にはもう、守ってもらうにはこの神社がありますから。」
「でっけーお守りだこと。」
「ご利益はそうとうなものですよ。離れすぎると効き目がなくなるのが難点なんですけど。」
「今作った設定じゃねーだろうな。」
 からからと自然に溢れる笑いをそのままこぼし、根付をしっかりと握りこむ。右手に感じる硬い感触は、一々調べるまでもない根付の"存在"を教えてくれた。温かみを分け与えたところで、鈴は鳴ってくれたりしなかったが。
「ありがと、日暮。」
「いいえ。また来て下さいね。」
「おう。」

 それから階段まで見送ってくれた日暮に「もう穴に落ちるんじゃねーぞ」と一言つけて、帰路につく。微かな街灯が照らす道から一度真っ暗な道へ抜ければ、自身の住宅まであと少し。山のふもとに添えられるかのように建てられたマンションが、自分の家。帰ったところで、迎えてくれる家族は、もういないのだが。
「………意外とさみし。」
 呟いたところで虚しさが増すのみ。学校のように日暮が返事をしてくれるわけではないし、先ほどのように日暮が返事をしてくれるわけではない。どちらも日暮だ。どれだけ日暮のことが好きなんだと頭を抱えた京太郎は、肩にかけていたバッグをソファのほうへ投げ飛ばした。ソファを一つ置いて問題ない広さの部屋を一人暮らしとは、よく考えれば贅沢かもしれない。そんな全く関係ないことを考えながら、19時を示す時計にため息をついて、放ったカバンの隣に深く腰掛けた。今から食べるとすれば問題ない時間だろうが、残念ながら用意してくれる人間なんていない。これから準備すると思えば少し遅くなるだろう。
「はーあ。」
 ため息をついて頭をかこうと腕を上げようとすると、隣にあったカバンのほうから乾いた音が響いた。
「………。」
 自然と目をそちらに向けると、床には日暮からもらった根付が寂しく転がっていた。先ほど京太郎が与えた熱は勿論冷め切って、サビが見え隠れする鳴らない鈴がきらりと光っている。そ、と左手で拾い上げてみる。
「…根付ね。」
 ストラップとばかり言っていたから、根付という言い方は少し新鮮だった。17歳にして初めて知った自分は、随分と学がないのではないのだろうか。少しいやなことも考えつつ、いくら揺らしても鈴の鳴らない青い根付をじっと見つめる。
 はた、と思い至って、カバンから携帯電話を取り出してみる。…が、右手からこぼれおち、不穏な音にため息をつきながら再度手にとる。とくに平時と変わりない携帯電話のその姿にやっぱりなと思いながら、右手の携帯電話から、左手の根付へと視線を移す。
「…つけよっかなー。」
 鈴がりんりんと鳴るものであれば、常に身に着けている携帯電話になどとは考えなかっただろう。しかし、いかに鈴の形をしたものがついていたとしても、この鈴は鳴ってはくれない。煩わしさなど全く感じないそれを、黒い無骨な通話機器につけてみたって、誰も責めたりはしないだろう。
「似合う色でよかったなー。」
 一人の呟きはやはり、虚しく一人の部屋に呟くだけだった。


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