Ghost Apple 6

「京太郎くん、それ。」
 翌日、学校。休み時間に入ったスイカを送ったという両親からのメールにため息をついていれば、目の前の日暮が呆然としたような顔でこちらを見た。日暮弟と打って変わって、こちらの日暮の表情はとても豊かだ。それはもう、言葉抜きで喜怒哀楽がわかるほど。流石に何によって喜怒哀楽を得ているのかはわからないのだが、日暮弟と話したばかりの京太郎にとってはどこか記憶と噛みあわない、違和のようなものを感じていた。
「ケータイ? 親からスイカ送ったってメール来たから。あ、食う? 多分一玉送って来るだろうから一人じゃ食べきれねぇし」
「いや、そうじゃなくて。」
 左手でありがとうという返信を入れながらスイカについて聞けば、バカにするなと言いたげに目を閉じ、ため息をつかれる。わざとらしいその仕草、日暮弟にも分けてあげればいいのに。と、そこで思い出した。
「あ、ストラップ?」
「根付。」
 先ほどまでの柔らかい表情が抜け落ちたような、それこそ昨晩話した日暮弟の顔が京太郎と顔を合わせる。突っ込むところは同じなのかと感心するが、その感情はなるたけ隠して「もらった。」と口にした。
「………そう。」
 しかし、返って来たのはそっけない返事。それから日暮は、無愛想に自身の席へと座りなおした。関わるな、とでも言うように。
 掘り下げて聞いてくれもすれば、喧嘩の仲裁役にでもなればいいな、と思ったのだが。そこまで日暮弟との関係は険悪なものなのか、と思うと少し寂しいところがある。互いに最初とギャップのある、フランクな性格をしている二人だ。地味そうだが軟派な話し方をする兄に、敬語を使う大人しげな少年と思いきや神経図太い弟に。系統は違えどどちらにしても軽く人の領域に飛び込める二人だからこそ、尚の事一度こじれた関係は下に戻しにくいというものなのだろうか。
「日暮、」
「休み時間終わるよ。」
 呼びかけた京太郎の声には、冷たく「話すつもりはない」という意思を手短にした言葉が返って来た。
(………そんな大きいことがあったのか。)
 京太郎の頭を埋めたのは、目の前にいる日暮ではなく、日暮兄弟の関係、だった。



 授業も終わり、カバンに荷物をまとめる。懐中電灯に余分なダメージが行かないよう注意しつつつめている間、いつも前の席に座っていた日暮は姿を消していた。教師に聞いてみれば「あれ、いない?」と言われてしまった。どうやら早退しているわけではないようだが、やはり姿はどこにもない。特に用事があるわけでもないのだが、短い間で固定された別れの挨拶がないとなると、そしてそれを表すかのような空席が目の前にあると、少しだけ、胸から何か抜け落ちたような感覚があった。

 何を考えていても、カバンに入れていた懐中電灯を思い出せば、行かないという選択肢は京太郎の中にない。寄り道もしつつ、目的地までの道を思い出しながら、足早に神社へと向かった。




 まだ日が落ちるまで時間があるせいでもあるだろうが、先日よりも暗い雰囲気は抑えられているだろうか。そんな神社の、緑がアーチを描いているような石段に足を出して、少しだけ静かを意識しつつ上へ上へと登っていく。山が多いと木々が触れ合う音もよく聞こえたのだが、音の聞こえにくい作りなのか、静寂という二文字が頭によぎるほど静かになる。先日よりもはるかに明るい石段の行き着く先を考えながら、一段一段を丁寧に上っていった。
「また来たんですね。」
「早めに返して欲しいっつったのはオメーだろ。」
 そして、迎えてくれたのは、掃き掃除をする日暮の姿。あいも変わらず袴姿での歓迎だ。「次の日に来てくれるとは思いませんでした。」という言葉は、好意的なのかそうでないのか。どっちであれ、京太郎には借りた懐中電灯を返さなければならないという義務がある。先日、何か重そうなものが落ちた音を探し回っている間はどこか遠くにあるのかと感じたというのに、思い返せば意外と近くにあるようだ。間近に防空壕でもありそうな木々のせめぎあいがあり、階段はいかにもあの世への入り口を思わせる。それでも、日暮の姿を見ればそんな考えはあほらしいと頭をかきたくなってきたのだが。
「ほらこれ、懐中電灯。助かったよ。」
「それならよかったです。頭痛もなく帰れたようですし。」
「あぁ。根付のおかげだな。」
「そうですよ。ご利益を感じたことはありませんでしたがね。」
 忌々しくはきすてるような声で、それでもやはり無表情な日暮に「ならなんでくれたんだ」と小さな文句をつける。残念ながらその無表情からではきちんとした喜怒哀楽は受けられず、曖昧な返事のみで会話の終わりを感じてしまったわけだが、沈黙が心地よい相手でもないので、左手に持ったもう一つの用事を日暮の前に突きつけた。
「………? なんですか?」
「シュークリーム。お礼って思ったんだけど、ただのコンビニになっちった。どうせなら一緒に食べねーかなと思ったんだけど…」
「………。」
 ぱし、ぱし。目をしたたかせるその効果音が今にも耳に入ってきそうでくすぐったくなり、「どうだ?」と根付を渡されたときのようにぶら下がるビニール袋を揺らす。何度か食べたことのあるものであったから、面と向かって不味いと言われることもないだろう。もし甘いものが嫌いな人間であれば別なのだが。
 そんな懸念は裏切られ、日暮は少しだけ優しげな表情をした。
「………嬉しいです。お茶持ってくるので、座って待っていてください。」
「あ? おう。」
 すてすてと箒を持ったまま神社の裏へと消える。色々と詰め込んである倉庫でもあるのかとも思うが、そこから出るお茶はあまり考えたくない。流石に別所からのものだろうが。
 とりあえず昨日と同じく賽銭箱の前にある階段に腰を下ろし、ビニール袋に包まれたシュークリームを取り出してみる。コンビニで売られる袋詰めのシュークリームには、冷やされていたためか結露が少し見えていた。どこかの有名店のケーキとは比べられないが、それでも美味しそうには見える。そんなことを考えながら待つこと数分、二つの湯のみが置かれた盆を持つ日暮の姿が現れた。シュークリームの隣にその盆を置き、シュークリームと盆を京太郎と日暮の二人で挟むような形で座る。どうぞと差し出された湯のみからは湯気が立っていた。
「シュークリームにお茶ってどうなんでしょう。」
 持ってきた本人からのそんな声に少しの苦笑いを返す。
「いんじゃね?普通に美味しそうじゃん。甘いもんにはちょっとばかし苦い飲みモンのほうがいいかもしんねぇよ。」
「そうでしょうかね。」
 紅茶だったらなおよしという言葉は心にしまい、出された湯のみに手を伸ばす。飲み込んだ熱い緑茶はやはり少し渋かった。
 破いた袋から飛び出たシュークリームに二人して口をつけると、途端に沈黙が襲ってくる。覗き見た日暮の顔は今にも花が咲きそうな幸せそうな顔だったからよしとして、甘いクリームの一口目を温かい口内で飲み込んだ。
「そういえば、お前らってどこに住んでんの。」
 何となく口をついて出た疑問に、京太郎は激しく後悔する。家庭の事情によりしばらく会っていないと聞いていたはずなのに自分は何を言っているのか。心の中のみで蹲りたくなるような気持ちになりながら、やはり無表情のままでいる日暮の答えを待った。
「気になるんですか?」
「あ? うん。頭痛酷かったとき、送ってやろうかーとか言ってたし、どのへんなのかなと。お前も夜遅くまでここにいるんだろ?」
 納得したような顔で
「そうですね。一応近いとこに住んでるんですけど、兄と僕とは別居です別居。」
「別居って。」
「僕は常に神社にいますし、兄は学校なりなんなりありますし、全然会いませんけどね。」
「…へー。」
 答えてくれるときの顔は無表情。その表情のおかげでなんでもないように見えるのだが、やはり何か思う所があるのだろうか。むしろ、兄弟関係がこじれてしまった中でなんとも思わないほうが京太郎の視点ではおかしいと考える。一人っ子ゆえ、兄弟の距離感というものはいまいちわからないのだが、自分にいないと言ったとしても親に並ぶ、唯一無二の"家族"になるはずなのだ。質問するべきではなかったと悔いたところで、先ほどの出来事が消えたりしない。
 消えないのだ、過去は。


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